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腐海のほとりに佇んで    藤下真潮
第1回 ポーチで幼女が子猫と…島みち子

 

 初出:「漫画の手帖 61号」 2011年8月5日発行

 

「よろしくネコタン」デビュー作
花とゆめ1975年02/03号掲載

ギャグに関してはこんな絵柄
「ゴールド・ドリーム」
別冊花とゆめ1979年 春の号

 

シリアスはこんな感じ

別冊花とゆめ1980年 夏の号・秋の号「美江とふたごの盲導犬」

 

 

 

 またいきなりタイトルが変更になっていますが、書いてることは以前と大して変わりません(というか全く同じ)。本来ならば第4回です(他に番外編が2回)。タイトルを変更したことにあまり深い意味はないのだけれど、どうも以前のタイトルの座りが悪いのと、ひょっとしたらネタ切れ起こして少女漫画以外にもネタにする可能性が無きにしも有らずなんで、一応伏線というか逃げ道作っておこうということです。
 相変わらず前フリ長くてすみません。今回は島みち子です。1975年から80年にかけて、白泉社『花とゆめ』の本誌とか増刊とか別冊とかで描いておりました。作風的にはシリアス多め、多少ギャグでイヌとかネコなどの動物と少女(というか幼女に近い)の交流ものを割かし得意としておりました。
 少女漫画で動物ものというと、古くは山田えいじ「ペスよおをふれ」(講談社『なかよし』1957年)から始まって、細野みち子「おはようエルザ」(講談社『週刊少女フレンド』1966年)、木内千鶴子「ノラをさがして」(集英社『週刊マーガレット』1972年)等々と延々脈々と受け継がれ、今では動物(ペット)漫画の専門雑誌も形成される程の一大ジャンルに育っている。
 かように現在に於いても少女漫画の一大ジャンル(?)を形成している動物もの少女漫画の片隅にいたのが島みち子です。
 デビュー作は『花とゆめ1975年2/3号合併号』掲載の「よろしくネコタン」(図1)。この時期の『花とゆめ』デビューであれば、本来新人賞あたりで投稿していそうな気がするが、そんな気配は全くなくて唐突にデビューしている。前号の予告にも明記がなく、何かの代原にでも使われたのではないかと思われるがそこら辺も事情はよく分からない。
 作品数はデビューの1975年から80年までの24作品を確認したが、腐海(念の為に言っておくけど倉庫だよ)で発掘したところ23作品しか見つからなかった。出てこなかった1作品(「夕やけの丘」花とゆめ1975年19号)は、知らないうちにどうやら店で売っちゃったみたいだ。
 見つかった23作品を今回すべて読み直してみた(暇だなぁ。仕事しろよ(^^ゞ)。作中に出てくる動物は、ネコが3作品、イヌが10作品、鳥が2作品。リアルタイムで読んでいた頃の記憶としてはネコの作品が妙に印象に残っているので、ネコがでてくる作品数が3作品しかないにちょっと驚いた。島みち子といえばネコと幼女がキーワードみたいに思い込んでいたので……。う〜ん、30ウン年前の記憶が如何にアテにならないことか(汗)。
 作品傾向としては、純粋ギャグが2作品、シリアス傾向のものが21作品。これも当時の記憶と微妙に異なる。もっとギャグ作品があったような気がしていた。やっぱり記憶ってアテにならない。
 絵柄に関してはギャグはこんな感じ(図2)。シリアスに関してはこんな感じ(図3)。あんまり変わらないかなぁ(笑)。
 作品テーマ的には、子供や視覚障害者などの弱者に暖かい視線を向けたものが多く、弱者がその境遇にも負けないで健気に頑張るといった類のものが多かった。個人的にはそういった作風を非常に好ましく感じいたし、絵柄に関しては必ずしも上手いとはいえないが、可愛らしいものはとても可愛らしく描くあたりは気に入っていた。
 何作品か内容をちょっと紹介してみます。デビュー作の「よろしくネコタン」は、こんな話。ある日ナコ(幼稚園児くらい?)は、お腹に赤ちゃんがいる汚い野良猫ホニョを拾ってきた。猫が嫌いなママは捨てて来なさいと怒るけど、ホニョはナコの大事な宝物。捨てる事なんてできません。ある日ママは、アイロンの消し忘れで火事を起こしてしまいます。ホニョの機転で家族は難を逃れますが…(こうやって文章にすると実に他愛もない話に感じる)。
 もう一つ「子ねこのみた夢」というネコの作品を紹介。子猫を助けようとして交通事故に遭った少年徹は、入院先の病院で心臓病で入院していたミーナという少女に出会う。ミーナは、助けられた子猫は実は自分が変身していたのだという。徹はからかわれているのだと思い、少女の話を全く信用しなかった。やがて少女の心臓手術の日がやって来る…。ちょっと悲しくて切ないお話。
 動物が出てこない作品として「セリーヌの思い出」を紹介。作者にしてはちょっと異色作。舞台は第一次世界大戦下のフランス片田舎(多分ベルギー国境近くのノール県辺り)。夫戦死の報を受け取ったクラリス夫人は、その戦死を信じず、まだ幼い娘セリーヌを弟に託して夫探しの旅に出る。ひとり田舎の村に残されたセリーヌは、やがて隣に住む少年ミールと仲良くなる。しかし平和なはずの田舎の村にも次第に戦火が忍び寄る。母親が戻るとの手紙を受け取ったその日、村にドイツの飛行機がやってくる……。古典名作映画みたいに、美しいけど悲しいお話。
 イヌの作品も紹介。これは作者の最後の作品となった「美江とふたごの盲導犬」。双子のイヌ、ジェニーとネリーは美江のおうちで大切に育てられていました。やがてジョニーは盲導犬となりましたが、美江と仲の良すぎたネリーはそのまま家に飼われることになりました。しかしパパが事業に失敗し、美江とネリーは離ればなれになってしまいました。美江を探して旅に出るネリーとネリーを探そうと昔の家に帰ろうとする美江は……。作者は盲導犬にも関心があったようで、盲導犬を題材にした漫画は他にも2作品存在します。
 これだけ動物ものを書いていたこともあって、作者自体もかなり動物好きであったようだ。漫画家の近況を伝えるコラム欄を拾い読みすると、1975年秋ころには”今はアパート住まいで動物飼えないの”とある。また1976年初頭の読者の質問”先生はどんな動物飼っているの?”に対しては”夫と父という名のゴリラを2匹飼ってますのよ”とある。ただし1978年ころのコラムには”うちのドラ猫が家出して二日も探しまわってしまった”とあるので、どうやらその後ネコは飼ったようではある。
 島みち子が得意とした、社会的弱者(幼児や障害者)がその境遇にも負けないで健気に頑張る、もしくはそのまま不遇に終わるという類の話は、1950年代の漫画が少年物と少女物とに分離した初期の時代から脈々と受け継がれてきた主要テーマではあるが、70年代末にはすでに流行らない作品テーマにはなっていた(でも店主は少女漫画読みのロートルなんで、こんな作品が結構好きなんですけどね)。
 また動物マンガにおけるイヌとネコの役割という観点においても、1970年代後半までは動物マンガといえば大半はイヌが主流だったが、それ以降から明らかにネコが主流となる。それは同時代の動物マンガのヒット作、猫十字社「小さなお茶会」(白泉社1978年)や大島弓子「綿の国星」(白泉社1978年)等からも伺える。動物と人間の感動的な交流を描くという作品に於いては、イヌというキャラクターが使いやすく、萌や癒しや和みというテーマではネコがやっぱり使いやすいのだろう。
 島みち子自体ネコも結構好きだったと思われるので、動物との交流といったものをもっと身近な別な視点で捉えることができていれば、現在のペット漫画に近い新しい作品を生み出すこともできたのかも知れなかったのではないか。漫画に対するセンス自体は悪くなかっただけにちょっと惜しまれる。
 いつの時代に於いても自分の作品傾向(書きたいテーマ)と、時代の趨勢というものをマッチングさせるということがいかに大変なことか。どんな分野もプロは本当に大変なんです。

 今回ちょっと評論ぽい書き方になってしまった。本来評論というのは個人的に好きでないのにかかわらず、こんな調子になってしまったことは、海よりも深く反省したい(反省だけだったら猿にもできるけどね)。

 本音を言うと今回ここまでマイナーなマンガ家扱っていいのだろうかちょっと悩んだ。マイナーなマンガ家扱うことを趣旨としたコラムではあるが、ここまでマイナーだと誰もしらないというか、誰も興味がないんじゃないだろうかと不安になる。では書かなきゃいいじゃないかというと、コラムを書く側の論理が自分の好きなマンガ家の事しか書きたくないというところにあるので、そこら辺はひとつご容赦いただきたい。

 ところで最後にちょっとお詫びを…。以前書いた宮田陽子と岡元敦子の作品リストに漏れがあったのでここで補足させていただきます。

・宮田陽子 作品リスト補足
「薔薇の奇蹟!!」 JUN(JUNE)1978年12月号
・岡元敦子 作品リスト補足
「三日月夜」 週刊セブンティーン1978年1月5日増刊号
「デリラ」 花とゆめ 夏の増刊号(1978年9月10日号)

 岡本敦子「三日月夜」に関しては今回新発見ですが、「デリラ」と宮田陽子「薔薇の奇跡!!」に関しては、単なるリストのチェックミスだった。情けないことおびただしくて、海より深く反省!(だから反省だけだったら猿にも…)

1975年
「よろしくネコタン」 ネコ
「シャボン玉きえた」 花とゆめ1975年09号 イヌ
「一番星のうた」 花とゆめ1975年16号 鳥
「夕やけの丘」 花とゆめ1975年19号 未確認
「たえの麦わら帽子」 花とゆめ1975年大増刊アハハ号 イヌ
「ともだちの朝」 花とゆめ1975年23号
1976年
「ミカの宝石箱」 花とゆめ1976年03号 イヌ
「一月の頃…」(イラスト) 花とゆめ1976年04号
「パパのお人形」 花とゆめ1976年大増刊エヘヘ号
「いま緑の中」 花とゆめ1976年11号
「光…ふたたび」 花とゆめ1976年18号
1977年
「チサとおじいちゃんの詩」 花とゆめ1977年冬の大増刊号
「ファースト・コンサート」 花とゆめ1977年08号
「セリーヌの想い出」 別冊花とゆめ1977年夏の号
「ビューティ・ハミー」 別冊花とゆめ1977年秋の号 ネコ
「クリスマスてんやわんや」 花とゆめ1977年24号 イヌ
1978年
「いとしの九官鳥」 別冊花とゆめ1978年冬の号 鳥
「子ねこのみた夢」 別冊花とゆめ1978年春の号 ネコ
「ラッキー光の中を!」未完 別冊花とゆめ1978年秋の号 盲導犬
1979年
「ゴールド・ドリーム」 別冊花とゆめ1979年 春の号 イヌ
「さびしがりな瞳」 別冊花とゆめ1979年 夏の号 盲導犬
「はじめての仔犬」 別冊花とゆめ1979年 秋の号 イヌ
1980年
「早春のモルゲン・ロート」 花とゆめ1980年冬の大増刊 イヌ
「美江とふたごの盲導犬」前後編 別冊花とゆめ1980年 夏の号・秋の号 盲導犬


 

 あとがき

 ここでまたもやタイトル変更。プロとしてデビューしたが単行本を残さなかったマンガ家は雨後の筍のようにゴロゴロいるけれど、24作品も描いていて単行本が1冊もないマンガ家はちょっと珍しい。しかも単行本をがんがんと出していた、白泉社花とゆめレーベルにおいてである。好きなマンガ家だっただけになんとも残念なことである。

 

 

 

 

東京都公安委員会許可第301020205392号 書籍商 代表者:藤下真潮